薬を使わず治すパニック障害〜誤作動した脳と心の修理

パニック障害を発症し、克服するまでの記録です

森田療法に出会う(3)

森田療法の本が新しいお守りになるほど、
私にとって「あるがまま」の考え方はとても新しく、難しく、必要なものでした。


思えば周囲にいるメンタルが強いと思われる人は、

 

どんなに厳しいことでも真に受けない

深追い・深読みをして考えすぎない・

 

「今起きていること」に集中することが上手な人でした。

 

 

対して私はいつでも、

 

この先はどうなるんだろう?

こんなことをしていて大丈夫なのだろうか?

 

今は楽しいけど、明日の月曜日になればまた憂鬱な仕事があるし・・

 

 


と、ひとっつも「今」を楽しめない人間でした。

 



「今」しか見ない人たちなんて、とずっと思ってきていました。

 

 

私にとって、「今」は過去から未来へ繋がるものなのだから、
「今」も大事だけどこれからも大事でしょう?と。

 

でも、「今」を大事にできなければ、未来もないんですよね。

 

「今」を楽しめないということは、
「今」を真剣に取り組めていないということでもあるんですよね。


「今」起こっていること
「今」は何が必要なのか

 


どのみち未来は誰にもわからないし、どんなに準備をしても限度があるというものです。

 

実際、明日起こるかもしれないことに気を遣いすぎて、

どんなに楽しいイベントを前にしても思い出を半減させてしまったような・・・


育児はどんな人も一度くらいは
「あの時ああすればよかった」の後悔はあるものですが、

 

もう20年近く経つ今でも、

「どうして自分の気持ちの問題に注意しすぎて、目の前の育児にもっと気持ちを注げなかったのだろう」と後悔しています。

 

子どもの一日は、もう二度と帰ってこない大事な一日です。

日々成長している子どもにとって、毎日が新しく・毎日が挑戦の日々なのです。


後になって苦しかった思い出よりも、真剣に目の前のことと向き合って、辛い思いも楽しい思いも、思い出がいっぱいの方が、ずっと後になっても幸せな気持ちになれます。


今にしてみれば、「パニック障害」に陥るというのは

考え方を変える最大のチャンスの時期だったとも言えます。

が、私の場合は時間がとにかくかかりすぎました。

 

今も考え方に癖はあります。

「あるがまま」は非常に難しい時もあります。

 

「あるがまま」というのは、全てを受け入れる責任を持つ。

ということなんです。

 

明日がどうなっても、今を楽しんで・今を頑張って、結果(未来)はどんなことがあっても、仕方がないことだし、やれることをやれればいいじゃない。と。

 

 

「今も大事だけど、明日のことも大事じゃない」というのは、

誰かに責められたくない

これ以上責任を背負いたくない

という気持ちの表れだったかもしれません。

 

「明日」悪いことが起きないように・・

「今日を楽しみすぎて、明日をおろそかにしてしまい、準備不足を誰かに指摘されないように」・・・


パニック障害になる前と真っ只中だった頃の私は、

楽しみすぎないように・楽しみすぎて後で誰かに責められないようにという
言い訳のためだけに生きていました。

結果、逃げようのない「育児」を前に発症してしまったのかな、と思っています。

 

 

 

 

 

仕事も育児も恋愛も、「今」や「今日」を大事にしていれば、自ずと道はできるのだから。

あるがまま、ドーンと開き直ることが大事なんですよね。

そうしたことでどんなレッテルを貼られても、他人は他人、私は私と割り切って、

他人のための良い人をやめることがこの病気を治す最大の近道では?と思っています。

 

森田療法は、現代のいろいろな状況にも応用できる、素晴らしい療法なのではないでしょうか?ただし、薬も使わず、自分自身と本当に対峙し合うきつい仕事ではありますが、興味を持った方は、まず本を読んでみることをお勧めしたいです。