薬を使わず治すパニック障害〜誤作動した脳と心の修理

パニック障害を発症し、克服するまでの記録です

外出を克服したい。運転編

何度も書いていますが、外出がもともと大好きだった私にとって、

パニック障害は私を外へ出さない足枷でした。

 

 

 

 

 

朝は「あれもこれもやらなきゃ。じゃあ◯◯へ買い物へ行かなきゃ」と思っていても、家事を済ませて準備を進めていくうちに

 

 

「10時に出よう」

「お昼には行こう」

「お昼は人がいっぱいだ」

「お腹が空いているのに、吐き気が怖くて食べられないから家で食べよう」

「2時までには行こう」

 

 

・・・とどんどん先送りしてしまい、結局夫が帰る時間に被せて行きだけ運転し

一緒に買い物についてきてもらい、帰りの運転は夫に変わるなどしていました。

 

 

 

 

 

 

 

普段はこれでなんとかなっていましたが、夫に接待や出張の予定が入るのは恐怖でした。

これでは何もできない・・と何度も絶望しました。

 

どうして、出かけようとすると心と頭の中に邪魔が入るのだろう?

 

 

すーっと静かに、まるで私の行動を見張っているかのように、

「吐いたり、落ち着きがなかったりして、周りから変だと思われるかもよ?」と語りかけてくるのです・・・。

 

 

頭の中のハエを追っ払えないというのは、まさにこんな感じかと思ったりしました。

 

 

ある日、もう嫌だ!今日から何としても出かけてみせる!と強気になって自分に宣告してみました。

 

「絶対に出かけて克服してみせる!」

 

・・・とは言ったものの、車がないとどこにも出かけられないので運転は必須です。

 

なるべく具合が悪くなれば休める公共交通機関に頼りたいものでしたが、

当時住んでいた家からバス停は徒歩15分。駅は20分。

 

 

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赤ちゃん連れにはしんどい距離です。

また、新興住宅地でまだ住民も少ないせいか、昼夜問わず変質者が度々出ていたので

結局車での移動がメインにならざるを得ません。

 

 

また、当時は都内へ仕事に出かけなければならないので、とにかく運転をなんとかしなければなりませんでした。

 

 

 

 

 

 

うちから都内へ出る時などは、必ず横浜新道・第三京浜首都高速のどれかを使って行きます。

 

 

移動は私の心と体調が短時間でどんどん変化する負担の大きなものでした。

 

 

まず、横浜新道のまっすぐ脇道がなく料金レーンまで行くしかない作りに恐怖を覚えました。

 

料金レーンまで行けば、真横に駐車スペースや休憩スペースがあるのですが、そこに止まるのも方法ではあるものの、一度止まってしまうと二度と走り出せないんじゃないか?という恐怖が打ち消せませんでした。

 

そこでえいやっ!と料金所を抜けそのまま走るようにするのですが、周囲のスピードに合わせないと怖い・でもスピードを出したくないという心の葛藤と戦っている間に汗が吹き出ます。ハンドルを握る手はいつも汗でびちゃびちゃでした。

 

 

 

 

 

動悸と戦い、どうにか第三京浜まで行くのですが、今度は入口側のトンネルの壁にどうしてかぶつけたくなる衝動が始まりました。

 

「この壁にぶつけて楽になりたい・止まりたい・・・・」

 

後ろにいる息子の「あー」という甘い声に引き戻されてハッとすることもしばしばありました。

 

衝動を抑えてどうにか第三京浜に入るのですが、再び動悸と戦い、終点まで走るような感じでした。

 

 

どうにか一般道でやっと安心・・はなく、一般道に入ったら入ったで今度は安堵で吐き気が込み上げる・・・一時間前後しかない運転でも自分の体調変化が忙しすぎて、心がどんどん磨耗してしまうのでした。