薬を使わず治すパニック障害〜誤作動した脳と心の修理

パニック障害を発症し、克服するまでの記録です

心の癖と私自身の養育歴

パニック障害は心の癖」

パニック障害は思考の癖」

 

パニック障害を検索すると、このような言葉が並ぶこともあります。

 

皆さんも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

私も全くもってそうだ!と思いはしますが、

 

同時に

 

心の癖って、何だかダメな人と言われているみたい

・・・と悩んだりしました。

 

 

 

 

 

じゃあ普通の人はそんなに迷ったり悩んだりしないの?

 

普通ならそんなに恐怖を感じないの?

 

それが知りたくて、心理の本や精神の本を読んだりもしました。

 

ある時期はきっと、母との確執が原因なんだ!と思ったりもしました。

そのうち

「普通に育てられたなら、こんな私にならなかったのでは」に通じるのですが・・。

 

 

母の確執というより、

母の育てかたと私の気質が本当に合わなかったんだろうな、と

思います。

 

私は確かに怖がりで、階段が苦手で5歳まで上れず。

水も怖くてシャンプーに時間のかかる子どもではありました。

男の人も苦手で、親族以外にはギャン泣き。

 

そんな様子を知る親戚からは

母の離婚はとある大きな新興宗教が絡んだ壮絶なものだったとかで、

 

「大人の怒号が目の前に繰り広げられれば、子どもにはとんでもない恐怖だろう

と。本当はもっと心のケアをしてあげるべきだったけど、

(関わると大変なことになるので)関われなかった。ごめんね。」

 

と、大人になってから言われたりしたことから、

当時関わった人に似た人がいると無意識に避けたりしているのかなあーと思ったり。

 

母から離れることも恐怖で、とにかく離れない!とギャン泣きの子どもで、

分離不安の強い子どもではありました。

かたや

同時に母から「行っちゃダメ」と言われても

こっそりと遠くの低い山に行って町を見下ろしたり

近所の公園の池で魚釣りをしてみるような子どもでもありました。

 

本質的には好奇心の強い子どもだったはずなのに、

大人の都合で親戚の家に預けられたり、母の気まぐれに付き合わされているうちに、

分離不安になったのかなーという気がしています。

 

 

 

分離不安は大人になっても続き、人間関係に依存しやすい少女時代でした。

 

心を開いた友人にはいつも一緒にいてほしく、呼びつけたり。

 

依存を助長させるかのように、

母の育児方法は困ることがあれば何時間でもお経をあげさせたり、

神様頼みで自分の努力で何かを成し遂げるというのは思考は皆無。

 

また別れた父親のせいにしたり、嫌なことがあると

「お前は父親に似ていて嫌だ」と言って長時間体罰が続いたり。

 

 明け方まで説教が続いたり、今にして思えば

教育というより洗脳です。

 

 

そうやって出来上がっていった私は

一人で何かをできない・努力しても意味がない・誰かに乗っかる・

誰かに離れられると自分は悪くない・・・

 

べったり甘えた人間でした。

 

 

 

幸か不幸か、それで100パーセント形成されておらず、

好きなことを一生懸命やり、

それを他人(学校の先生やお稽古の先生など)に思いがけず

評価されることはとても意外なことで、

それが辛口な評価でも見てもらえたことに喜びがありました。

 

見てもらえることに喜びを感じるあたりも依存的な部分はあったかもしれません。

 

もちろん一生懸命やっていると

「お前は騙されている」と母の横槍が始まりますが、それでも、

 

「自分ももしかしたらやればできる人間かもしれない」と

少しだけ自分への希望を持つこともできました。

 

 

何もできない取り柄のない私と、何かできるかもしれない私という二人が

私の中で育っていたと思います。

 

そんな私は、

誰かがべったりフォローしてくれれば、恐怖心を感じることがなく

のびのびできましたが、同時に勝手な行動も増えたりして

人間関係がうまくいかなくなるパターンでした。

 

 

心の癖というなら

「依存傾向」「不安を感じやすい」「分離不安」は確かにあったかもしれません。

 

依存なら、完全に依存体質でありたかった。

 

私が考えるに、

パニック障害というのは 真水と海水が混じりあっているような性質の人は

なりやすいんじゃないかなーと思ったりしています。

 

もちろんパニック障害のすべてが、

養育歴に問題がある人であると言っているのではありません。

 

私の性格を形成する過去を思い出せば、そんな感じでした・・

 

 

今回もとりとめない文章ですみません。