薬を使わず治すパニック障害〜誤作動した脳と心の修理

パニック障害を発症し、克服するまでの記録です

恐怖突入①

通院は2回のみ

 

 

森田療法を取り入れていたT先生のところへは

 

結局2回しか行っていません。

 

 

初診と経過報告のみ。

 

投薬なし。

 

 

「子どものことでそのうち忙しくなってそれどころじゃなくなるよ」

と言われた時は、

 

 

「そうかもしれないけど、出かけたり人に会ったりする機会が増えるかもしれないのに、対応対応できずに症状に振り回されるかもしれないじゃん!」

 

と思っていた部分もありました。

 

 

 

一人で学生時代の友人との約束で休日出かけても、

途中で過呼吸の発作が出たりして通行人の方に救急車を

呼ばれたりしたことも2回ほどあり、

楽しいはずの予定ですらこなせない自分に不安を覚えていたのです。

 

 

でも終わりのみえない薬は飲みたくない。

 

自分の考え方を正すことで元に戻れるなら…

 

すがった森田療法は、今でも正解だったと思います。

 

 

 

 

 

 

恐怖突入

 

「恐怖突入」というものがあって、「本人にとって」敢えて

虎穴に入るような方法が森田療法にはあります。

 

 

あえて外食

あえて外出

あえて人と会う…

 

簡単に書くとそんな感じですが、

これがパニック障害を患ってしまった人には

最大の苦痛だったり、最大の恐怖なのです。

まずは

「どんなに過呼吸が起きたり、気持ち的には死ぬかもしれないという恐怖が襲っても、

今日まで無事に生きている。

緊張や恐怖でどんなに不安や不愉快な体調になったり、

人前で吐いてしまっても、明日も生きている。大丈夫。」

 

と、しっかり認識することをT医院でも強調されたことを

毎日思い出すようにしました。

 

 

日記の最後には

「大丈夫、今日より明日は良くなる」

「いつかは治る」

「気づいた時には治っている」などなど、

 

自分に対する言葉がけを書いていました。

読み返すことで自分の脳に語りかけていました。

 

とはいえ、この病気は一進一退。

 

そういえば何もなかったかも。

と思う次の日には、リバウンドのように

緊張が襲う日もありました。

そんな日は特に日記に書いた自分へのメッセージが虚しい。

 

「治ってないじゃん」

 

と自暴自棄な日もありました。

 

 

 

そんなことで?と他人が思うことだってパニックの引き金になる

 

もともと対人関係はあまり得意な方ではありません。

 

苦手な人はとことん苦手ですし、できることなら喋りたくない。

このブログの初期の方で、さんざ自治会のトラブルなどを書いてましたが。。

 

今はかなり改善されましたが・・

 

20代だった当時、ズケズケと人の家に(賃貸だけど)やってきて、

自治会は加入義務があります(まるきり嘘)とか言い、

入ったら入ったで序列を適用してやりたくない仕事をどんどん回す。

 

いわゆる悪い田舎のコミュニティの存在はありえないものだったし、そもそもそんな

意地悪そうな人には距離をうんととって生きてきた私です。

 

 

子どもができることや、ファミリーの住む町に住んだだけで、

こんな嫌な付き合いが日常化するなんて・・とイヤイヤ期真っ盛りでした。

 

このブログを読んでいる方の中には「そんなことも嫌がるなんて」と思う方も

いらっしゃるかとは思います。

 

でも、苦手なものは苦手じゃないですか?

 

避けられるなら避けたい。

 

でも地域で子育てをするならどこで助け合いがあるかもわからない。

 

20代をお気軽に生きてきた上に、小さな頃から苦手な人間を避けてきた

私にとっては、超大人の世界でした。

 

避けられないし、うまくこなさないといけないし、というのは最大の恐怖突入でした。

 


私は今でも、逃げて自分を助けられるなら逃げていいと思っています。


でも逃げる前に、ある程度は自分で対処してもいいんじゃないかな、

とも思っています。

 

それで自分が傷んでいくなら、やめていい。

 

でも傷んで退化しているわけでははないということは知ってほしい。

 

傷んだ分だけ進化しているはずです。

 

もちろんある時期トラウマを抱えてしまったこともあります。

 

でも人間ってうまくできているもので、ちゃんと自分の栄養にしているようです。

その当時よりは、苦手な人間にも対応できるようにはなりました。

 

とはいえ、今でも心臓はバクバクするし、嫌な汗はかくし、

お腹が痛くなることもあるし、血の気が引く思いも味わいながら

対応していることもよくあります。

 

当時と違うことは、

今ある状況を落ち着いて理解しようとする自分がいることだけです。

 

どんなに血の気が引いても、そこから立ち去りたいという気持ちはなくなりました。

 

 

 

今思えば、私のパニックは

 

そこから立ち去りたい・逃げたいという気持ちと、

ちゃんとしなくてはいけない、という気持ちのせめぎ合いから

来ていたようにも思えます。

 

 

今回もうまく書けませんでしたが、また次回。