薬を使わず治すパニック障害〜誤作動した脳と心の修理

パニック障害を発症し、克服するまでの記録です

強迫的な鍵の確認が始まる・・

 

朝起きたら治っているかもしれない。


 

明日になれば吐き気を感じず、
ベビーカーに息子を乗せてお散歩できるかもしれない。

いつの間にか、一人で外出することが一番の望みになっていた。


前は一人であちこち行けた。

車も乗れた。

誰かに会いたいと

思えばすぐに会いに行けた

遠くへ行くのは楽しい非日常だった

 

一人焼肉をしてみたり
六本木のイタリアンに一人で行ってみたり
池袋や銀座のバーで一人で飲んでみたりもした

一人を時々楽しむのが大好きだった私が、
息子を迎えて
楽しくあちこち出かけようと思っていた私が、


どこへ行くにも夫がいないと行けなくなるなんて。


 





毎朝期待を込めて起きる朝。

すぐに異変を感じて動けなくなる日々。

絶望を押さえこみ、明日こそはと思い直す夜。


やめていた日記を再開した。

 

魔法を毎日信じた。


いつの間にか私の頭の中は

自分の体の異変ばかりを気にしていて、

すっかり周りが見えなくなっていた。


「車に乗ってうちに来ればいいじゃない」
という友達の誘いにすらイラついた。


それができればこんな思いをしないよ!

 

夫が普通に出かけることすら恨めしかった。

知り合いのいない町で赤ん坊と二人残されて、吐き気や動悸を感じて家から

一歩も出られない。

たまに鳴るインターホンは宗教の勧誘が多かった。


そのうち休日も家に籠るようになった。

息子が笑顔で夫と遊ぶ様子を見て、抱っこすらできない自分を責めた。

どうして抱き上げようとすると吐き気を感じてしまうのだろう。


私はとても疲れていて、時々自殺の二文字が頭を過るようになった。

それでも息子の笑顔が私を止めた。

同時に息子の笑顔は私を責めた。


しばらく実家に戻りたい。

母との仲は良いものではないけれど、息子を見せたいし、抱っこしてほしい。

ある日夫に申し出てみた。


夫は「そんなお金はない」と即答した。

 


「なんで?みんな里帰りくらい一回はしているよ」

「そんなお金うちにはないんだよ。諦めて」

何度かこんなやりとりが続いた。

 


思えば助産院で出産をし、3日で退院をした私はずっと睡眠不足のままだった。


食事もお世話も家事も何も気にせず、

1日ずっと泥のように寝たかった。

親戚に息子を任せて

数日くらいはゆっくりしたかった。

でも夫はそれを全て拒否して、

自分たちだけで子育てをすることを促した。


すべてが孤独だった。

話せば話すほど夫への想いは遠くなっていった。

それでも息子の可愛い様子や表情に励まされて育児に集中する心を戻した。


いつの間にか、朝の吐き気は減っていった。


少しだけ、近くのスーパーへ出かける練習を始めた。

家の鍵を閉め、車に息子を乗せ、出発。


「・・・・。」


50メートルほど走った後、なんとなく家の鍵を閉めたか思い出してみた。

・・・閉めたはず。

 

大丈夫、閉めた。

閉めた・・・・。


 





私は車をUターンさせ、家の鍵を確認した。


・・・閉じていた。

よかった。


もう一度車に乗り、出発させた。

でも距離が伸びれば伸びるほど心配になり、私はもう一度Uターンして

家の鍵を確認した。

いつの日からか、必ず最低3回は確認に戻ることが日課になった。


なんで閉めたはずの鍵がこんなに気になるんだろう。


閉めたはずなのに、確かに見たり手でガチャガチャと施錠を確認したはずなのに、

家から離れようとすると、「閉めていないかもしれない」という恐怖が

私を何度も襲った。


おかげで誰かと約束をして出かける時は

遅刻常習者になってしまった。


なぜだろう。

確認せずにいられないのは。

閉めたはずなのに、心がざわつくのだ。


これもまた、一つの症状であることに
ずっと後で気づいたことでした・・・。

 

 

パニックが起こる前の心のざわつき

私が発症した頃よりも

今はパニック障害の情報が増えたことは
誰にもこの症状を相談できなかった人には
症状の早期発見と治療にかかりやすく心強いものです。

 

 

 


私がパニックを初めて起こしたのは
出産後1年近く経とうとしたあたりでした。

でも、よくよく思い出すと
その種というか、起こしやすい気質であったとは思います。  

 

現在は

もともとそういう気質があって、パニック障害になりやすい人、

というのがわかってきていますね。


一般的には心配性だとか不安を感じやすいとか言われますが

確かにそうだとも思えます。

でも、もっと根底にはあるんじゃないかなとも思っています。

このブログでは

ダラダラと自分の日常ばかり書いてしまっていますが

なぜそうなるかというと

日常に蓄積された心のオリみたいなものが

ある日
「不安」という形で

少しずつ現れてくるのかな・・
という気がしているからかもしれません。

 

 





ゆっくりとご自身のことを思い出していくと
今に始まったことではない方って
意外といるかもしれません。

 


確かにそうだったのかな?と思える経験はあります。

 

小学校入学式では急に地面がぐるぐるとし始め

血の気が引いて倒れ、
気がつけば保健室。

当時は貧血では?と保健室の先生に言われました。


中学生の頃・・・
当時は過呼吸のみでした。

中3の頃は特に頻発しました。

ちょうど進路のことや母との確執に

一番悩んでいた頃だったからかもしれません。


大体心配事があるとスーッと気がどこかへ行ってしまったような。

この二件も何かしら漠然とした不安があった覚えがあります。

 

 

 

 

 

成長するにつれ、

多少緊張しても具合が悪くなることは無くなりました。

 

それが・・
出産して1年経つかという頃。

 

いつものように息子を抱き上げたところ、二、三歩歩いた途端
胸のあたりがざわつき、吐き気が込み上げてきました。

もともと嘔吐恐怖症的な傾向のあった私は
「吐く」行為はとても苦手。

 

胃の底からこみ上げてくる感覚は天地がひっくり返るようで
家の中でも嫌なものです。

幸い、つわりはほとんどなかったんですけどね・・

そっと息子をベッドに戻し、ダッシュで洗面所へ。

すぐに落ち着き、寝室へ戻って

泣いている息子を再度抱き上げようとすると・・・

またえづく・・

夫に息子を抱き上げてもらい、
台所へ行き・・・

 

そして通常の体調不良と違い、
心の中がとてもざわついていました。

家の中で、足も地面についているはずなのに、
まるで足のつかないプールだか水の中で
溺れ掛けそうな恐怖を感じていました。

今日1日だけのことかと思ったこの感覚は
ほぼ毎朝続きました。

このような状態で一番困るのは

普段のお買い物です。

 


発症前から

まだ息子が小さいということもあり、


買い物は夫と週末まとめ買いをしたり
遅くまで開いているスーパーに一緒に行ってもらったりしていました。

 

一緒に出かければ幾分安心だったので
どうにか買い物をこなせましたが・・



ある日
お会計をしようとレジ前に立っていたら、
ピ!・・ピ・・!ピ・・!と
レジの音が大きく感じ始めました。

年初めの

高速道路の轍を踏む音が大きく感じるようになったのと同じです。

すぐに動悸が起こり、呼吸が速くなる自覚がありました。

レジの向こうには夫と息子がニコニコして立っています。


震える手で急いで会計を済ませました。

 

「この後どこかで食べようか?」と夫が言い切る前に
「帰る!!」

 

「え?」

 

「・・帰る!!!」

 

呼吸もままならない私は帰るというのも精一杯。

 

よくわかっていない夫は

 

「何怒ってるの?」と驚いています。

「違うの・・気持ち悪いの・・」

 

「・・?ああ、そっか」
納得というより不機嫌そうに

「ああ、じゃあ仕方ないか」といった感じです。


でも取り繕う余裕もなく
すぐに駐車場へ。

 

私の周りだけが時間軸が狂っている。


1分は60秒で動いている普通の世界が
私には1分が遅くなったり、早くなったりしている・・
そんな感じです。

そして同じ場所にいながらにして

夫とも

世間とも

違う場所にいるように感じられる日が増えていくのでした。

 

 

 

なぜか逆に怒鳴られる・・

お久しぶりです。
毎日書き綴ろうと思いつつも、間が空いてしまいました。
仕事などで忙しいのもありますが、

 






実は・・
当時を思い出しながら書いているうちに・・

自分で書いていても不思議なくらい
いろいろ忘れていて、
そして思い出すと昨日のことのように
鬱状態に。

これには私自身もびっくりしました。
意外と覚えているものです。

 




そして
なんて細かいことを書いているんだ!
読んでいる人にはどうでもいいことばかり
愚痴ばかりじゃん!
と思うのに
キーボードを打つ指が止まらない・・



このブログは
「どうやって治していったか」を中心に書いていこうと
決意したんだけどなー・・


もうちょっと努力して
どのような対策をとったかを中心に書いていきますね。


途中で切り上げたいのですが、

とりあえずは最後まで書きます。。

よかったらお付き合いください・・・







ゴミの主?とも思われるお家は
その後夕方になってもゴミを持って帰る気配も
ご連絡もなく・・

しびれを切らし、
自治回覧の名簿をもとにお電話をすることに。

すると・・・


「うちじゃないって言ってるだろ!関係ないんだよ!!」
「?!」
「・・いえ、でもゴミにお宅のお名前が書かれていまして、
それでご連絡をした次第です」

このような会話を2巡ぐらいしてからやっと、


「・・じゃあ後で友人に回収させるから!ほっといてくれ!」


ゆうじん・・・?自分じゃなくて・・?
まあいいや、と思い直し、
明日中にこの方のお友達が代わりに回収ということで了承。



後日そのご友人が車でゴミ集積所にやってきた。


窓から見えたので、
昨日からほったらかされていたゴミを片付けるために
立ちあうことにした。



するとそのご友人とやらは私を見るなり、


「いやー参っちゃうよね!
これはあそこんちと同じ名字だけど、
親戚に嫌がらせされているんだよ。遺産相続でさー!・・」


と見ず知らずの私にあれこれプライベートを話し出した。


骨肉の争いだか知らないが、
身内の揉め事に自治会を巻き込まないでほしい。


一方的にベラベラと喋りながら、
車のトランクにゴミを入れ、

「じゃ、どうもすいませんでした」
と走り去って行った。


夜、事の顛末を旦那さんに話した。

正直、こうしてゴミを持って行ってもらうまで
落ち着かなかった私は、
夜になって彼に話すのをとにかく待ち受けていた。
落ち着きたかったから。



でも、

「ふーん、そっか」という浅いリアクション・・・


「よかったね!全部終わってさ♫」


・・・・。


「そうだけど??」


なんとなく不機嫌になり、私は話を切り上げた。



なにそれ他人事・・・?


ふつふつと怒りが沸いてきた・・・


「あんたに付き合ってこんな所に引っ越して、

あんたの代わりに自治会なんかやって、
身に覚えのないことに巻き込まれたんだけど?!」


と怒鳴る



には

産後の体に体力はなく。


また、赤子の前でそんなことを言えるわけなく。

言いたい気持ちをぐっと抑えこみ
1日が終わったのでした・・・

そして赤子の夜泣き・オムツ替え・
母乳育児なので夜中の授乳に加え、

出産・引っ越しと、
引っ越し後のストレスで
私はどんどん睡眠のリズムも体調も
何もかもがおかしくなっていることに
まだちゃんと気づいていないのでした。。

 

 

 

自治会加入直後からストレスを味わう

 


なんというか、引っ越した先は
何をせずとも近所付き合いが全く上手くいかない場所でした。

ごくごく普通の町に見えましたが、
自治会への加入をめぐることやゴミ当番など
ごくごく普通に日常にあることに潜むトラブルの連続・・
もしかしたら自治会加入を渋ったせいもあるとはいえ、
加入した後にもいろいろと続くのには参りました。。
その頃のお話です・・


後日

市役所には環境課につないでもらって話してみた。
「自治会でゴミ出し当番等の管理を委託しているわけではないですよね?」


「委託ではありませんが、皆さんの自治会にお任せしている状態です」

「は?」

自治会に援助費用などでもあれば分かる。
それも聞いたが特にそういったものでもないという。
自分の町の美観をみんなで守るのは悪いことではない。

が、共働きのお宅はどうするのだろう?
都心へと通勤している人も少なくないこの地域で・・

数分話したが、らちが明かないと判断して切ろうとしていたところ、
担当者は言った
「賃貸とおっしゃっていましたよね。世帯数が5世帯以上あれば、
大家さんに話してゴミ置場を設置してもらうと良いかと思います」

なるほど
その手があったか!
うちはちょうど5世帯だ。
早速大家さんに電話をしてみた。
が、

「輸入住宅で美観を大事にしているので、そんなものは設置したくない。
どうか自治会に加入してそっちでゴミ出しを」と
なんともひどい。
だったら入居前に自治会の説明をしてほしかった。

結局この件について1ヶ月近くうだうだしたのち、
自治会に加入することにした。


そして
「何世帯もあるから、ゴミ当番はすぐには回ってこないはずです」
は全くの嘘で
1ヶ月するかしないかの真冬に当番は巡ってきた。

結局、自分たちが何回もやりたくないから加入者の数を増やしたいだけにすぎないのだ。

 

そしてゴミ当番2回目の日。その日は可燃ゴミの日だったが、
不法投棄のように 可燃ではない、植木鉢やダンボールなどを
山積みにしたゴミが夕方になっても引き取られないことに気づいた。

息子が寝ているうちに、外に出て確認した。

どうしよう、と独り言を言っていると、散歩をしていたおじさんが
察してこちらへやってきた。
「これは間違って出した人に返してやんないと」
「それはわかりますが。。誰が出したかわからないので。。」

そう言うとおじさんはゴミを適当に触ってダンボールをひっくり返した。

「佐藤(仮名です)って書いてあるよ。その人あそこの先だよ。
言って違いますって言って来なよ」
「親切にありがとうございます」

全く、収集後は掃くだけで終わりじゃないじゃないか、と辟易しながら
その出したと思われるお宅に向かった。
インターホン越しに出た奥さんに
「すみません、佐藤さんの名前でゴミが出ています。今日は可燃でダンボールとか

引き取ってもらえないので、一度持って行ってもらいたいんですが」

「えー・・・・・わかりました。主人に行かせます」
やれやれ、これで終了。


ではなかった。

自治会の話・・新たなストレス

 

引っ越した先の新興住宅地は
地方ターミナル駅を私鉄で1つ北に向かった場所だ。


自然が残り、静かで子育てには最適な環境だと
夫は喜んでいた。
都内までの通勤も彼は頑張ってこなしていた。

確かに川が流れ、蝶が飛び、夜は星がたくさん見えた。

 

 




彼が出かけた後、
この町に残された私にはただの嫌な町でしかなかった。

まだ息子が1歳になるかならないかの頃。


賃貸住宅に越してきた私たちの玄関の前に

突然知らない女性が立っていた。

聞けば「自治会です」という。

都内に住んでいた頃は自治会はなかったり、

有っても回覧を回す程度だったり、加入の自由もあった。


が、話を聞くと
「地域の人たちは全員加入している」とのこと。

全員加入という言われ方に疑問を持った私は
「でもうちは賃貸なので」と返事をした。

が、女性は
「いいえ、賃貸でも加入していただいています」と言った。

理由を尋ねると、
この地域はゴミを出す際
ゴミ当番を輪番にして、

出されたゴミを仕分けしたり
回収後はゴミ置場のお掃除をするのだという。

「あのー、うちは私一人で乳児をみているので、
万一その当番になったら責任持ってお掃除とか難しいです」


「その場合はご主人様にでも代理でお願いしてください」


税金払ってゴミ出しているのに、この上ゴミ当番って何。
それもまるで自治会未加入者はゴミを出してはいけないかのような言い方。

事情を無視した言い方。その場合は配慮しますもない。

 


とりあえず主人に相談します、とだけ伝えて引き取ってもらった。

 




大家さんに電話で相談すると、
「自治会は加入です」という。

それは引っ越す際に話をしてくれてない。

主人は「やりたくなければやらないって言えば」と言った。

やりたくないんじゃなくて、


できない


のだ。

一人で乳児の世話をし、
合間を縫ってサークルの世話人の仕事をし、
時に息子を連れて朝から遅い夕方まで都内だ。

もしゴミ当番が来れば
あの真っ暗な川沿いのゴミ集積所を一人で掃除しなければならないし、
家に息子一人を残しておけない。
ベビーカーで連れて待たせても
万一泣いてひっくり返ったりでもしたりしたらどうするのだ。



失礼なことを書いてしまうが、
田園の静かな田舎で生まれ育った人間からすれば
まだ明るい街に思えるかもしれない。

繁華街のそばで育った私には
ただただ暗いところなのだ。

しかも近所にお友達がいるわけではないし、

それに
物騒だという理由で
どこの家も夕方を過ぎると雨戸を下すのだ。

何かあってもこれでは誰も駆けつけてくれないのでは?
としか思えない。


「嫌ならっていうけど、
そうじゃなくてできないの」


「じゃあそう言えばいい。俺は仕事があってできないよ」

「ゴミ出すなって言い方だったよ!」

「そんなことないだろ。ゴミ回収は公務員がやってるんだぜ。
税金払ってるんだからそんなのあるわけないだろ」

「もうやだ。嫌なら引っ越せばいいっていうから
ここに引っ越してきたけど、やっぱりやだ!
都内に戻りたい!」

「無理だよ、お金ないもん」

かみ合わない会話が続いた夜だった。


 

 

再びパニックを発症するまで⒈

 


今回はその当時の日常を思い出して書いています。

もうずいぶん前の些細な日常を書いていますが、

当時の私が壊れていく過程でもあります。

 

考え方の癖は厄介なパニック障害を引き起こします。

パニック障害について書かれた本などを読むと、
もともと考え方の癖があると書かれていたりします。
確かにパニックを起こしやすい性格や考え方を持っているかもしれません。

でも、それは生活の過程で少しずつ・・
パニック障害の、パニック障害を起こす前に
日常生活の中で少しずつ強化されてしまった気がします。



 



ベビースイミングに通い始めて2、3ヶ月経っても
私には地元のママ友ができる気配はなかった。

それでも柔らかいむちっとした息子を抱っこするには
水の中は心地よく、重さを感じないので
クラスが行なわれている間は楽しかった。

でもクラスが始まる前のプールサイドに腰掛けて

インストラクターを待つ時間や、

終わった後の着替えの時間といった


おしゃべりがあちこちから聞こえて来る時間は
苦痛で仕方がなかった。

家でも一人だから出てきたのに、
どうして同じ年頃の赤ちゃんを持つ母親同士の中でも
私にはお友達ができないんだろう?

でもそれ以上悲観しなかったのは、
ただただ乳児の息子の世話やサークル活動で

忙しかったからだろう。

それでもサークルで都内に出ると
皆それぞれの母親教室や近所で知り合った
地元のママ友の話などが増えていて、
度々羨ましいな、と思うこともあった。

当時の私はまだ26歳。
周囲は明らかに30歳は超えている様子だった。

 

もし地元も同じで年頃も同じなら、
私よりもそちらと友達になりたがるだろうな
と今となっては思う。

自転車ではなく車で来て帰ってしまう私は
どこか遠くから来ているだろうと彼女たちが思うなら、

近所ではない友達と仲良くなってもね、と思うのもわかる。

引っ越した先の町は同じ市内だが、
うちは最近川沿いの整備がなされたばかりの
新興住宅地だったので、
まだ住民が少なかった上に
賃貸住宅がほとんどない地域だった。

うちはたまたま新築賃貸と出会う機会があって
引っ越してきたが、周辺は新築分譲が多く、
また新築は20代・30代夫婦が買うには
負担が大きい。

しかし後で知ることになるが、
私の住む市は
国道の北と南・駅の北と南で
随分と地価が違った。

南側は海があるのとおしゃれなお店が多いので

若い夫婦に人気があり、

皆こぞってそちらに住んでいた。
皆無理してでも南側にローンを組んで
自分たちの住まいを手に入れていた。

そんなことも知らないよそ者の私たちは
車で20分も走ればすぐ海に着くし、だなんて

呑気なことを言っていたが、
この市・・特にJR側とだけ限定すれば・・

駅の南側の方が人口が明らかに多かったのを
後で知ることになった。

ある日すごくきれいで若いママに声をかけられた。

年頃が同じかと思って、と声をかけてくれたのだ。



積極的な子だったので、私たちはすぐに仲良くなった。

彼女も地元が私たちの住む町ではないということで、
あちこち探検に行こうよ、と言ってくれた。

やっとできた地元のママ友をきっかけに
私は自分の住む町のあちこち

息子を連れて出かけるようになった。
しばらくはとても楽しかった。

 

観光地なので土日は道がどこも渋滞する町だけど、
彼女から教えて貰った抜け道を覚え、移動する時間が短縮したおかげで
私はあちこち積極的に車に乗って走った。

どの道も狭く、カーブミラーが連続するようなところばかりだったので

運転にはとても気を遣った。
でもこんな道も走れるんだなーと楽しく抜け道をどんどん覚えていった。


ある雨の日、私は夫を助手席に乗せて運転していた。
どこも混んでいたので、私は彼女から教えて貰った抜け道を
使って裏通りを走っていた。
住宅街の小さな見通しの悪い十字路で悲劇は起こった。

一時停止をし、十字路を直進していた最中。

左から来た車がうちの車のフロントに突っ込み、大破してしまった。
私たち家族にケガはなかったが、その後の保険の話は難航した。

ウチの方が分が悪い過失割合が判例を基に出されたのだ。

車は廃車にせざるをえず、保険の話は決着が着くまで4ヶ月ほどかかった。


その間、私は夫にローンだけ残してしまったことや運転していた自分を

責めた。しばらくは事故に遭った時の衝突音が鮮明に蘇ることがあった。

車が無いとどこへ行くにも難しい町なので、夫はどうにかローンを組んで
小さな車を購入した。  

新しい車はマニュアル車だった。

私はマニュアルに不慣れだったのと、新しい車の操作方法や運転などがストレスになった。ストレスではあったが、車はこれ一台しか無いし、覚える以外なかった。

坂道発進でのエンストなどは恐怖以外の何者でもなかった。


ストっと静かにエンストをしてしまい、後続車に突っ込まれやしないか。
乗っている間はそんなことばかり考えてしまった。

 

夫の運転は昔からなんとなく馴染めず、
その馴染めなさは車を新しくしてからさらに増した。

楽しいはずのドライブもエンストや
自分のペースではない速度や車線変更の仕方・・・
いろいろなことがストレスになっていた。

私にとって夫とのドライブは
怯えと怒りが頂点になる苦痛の時間だった。

何度もこの人の車から降りたいと願った。
私はいつも心の奥をぎゅっと握りしめるようにして

体を縮こめていた。

夫のうっかりで度々危ない目に遭うたび、
どうしてこの人は・・・と
思うこともあった。

 


運転において
私はまるきり夫を信用していなかった。

助手席にいる間、私は頭の中で
いろいろな思いを抱いていた。

ともかく降りたい。早く目的地に着いてほしい。
この一つしか考えていなかった。


でも夫は怒り出すと大声で怒鳴りつけるところがあるので、

そのような様子を息子に見せたくなかった。

我慢して普通に振る舞い、怒りも恐怖も隠すようにしていたが、

時々我慢しきれず彼に訴えることが少しずつ増えたが、
その度に険悪な雰囲気になった。

息子が生まれてからは、子どもを守りたい気持ちが自然と生まれるというが
私の中の攻撃性は夫に向き始めていた。

初めての発作から一度落ち着き始める

 


今回書くことは
引っ越してから発作を起こし、
その後の日常の小さな変化です。

パニック発作はストレスがきっかけに発症することが多いようですが、
そのストレスは多岐にわたり、
嫌なことだけでなく、人によっては結婚がきっかけの場合もあるそうです。

私の場合は、妊娠・出産・引っ越し・育児サークル2代目を継いだこと
などなど、変化の多すぎる一年でした。

また、元の気質も手伝うようなので、

気質については別に書きますが、私のようなタイプに
こうした一連のストレスが続いたことが一番いけなかったんでしょうね・・・

 

*************


「きっと悪い風邪で
1週間過ぎれば元通りだよ」

ある日の夫との会話。

でもこの不調は
1週間経っても治らなかった。

風邪だろうな、と思うようにしてはいた。


何より通常の不調と違うのは、

食欲はあるということ。


息子に関わろうとする時だけ
不思議と吐き気が起こる。

しばらくぐずぐずとこの状態が続いていた。


でも頑張らなきゃな。とも思っていた。


体調不良だった私を心配して


「新居に遊びに行くね」と言って

ママ友たちが何回かに分けて
わざわざ遊びに来てくれた。


すごく嬉しかった。

すごく嬉しかったけど

子どもたちは日に日に大きくなっているので、
だんだんとそれぞれの住む町で行う子育ての話が増えた。


私もわざわざ遠くへ出ようと思わず、
この子とここで頑張らなきゃな、と思い始めていた。  


前向きになりだした頃から
不調はなんとなく忘れることができた。

新しい町にも慣れていかなきゃ、
せっかく海が車で20分ほどで行ける場所に住んだのだ。


休日は夫が海へ連れて行ってくれた。
大型ショッピングモールは車で来る人がほとんどなので
無料駐車場も多く、だいたいが無料で停められた。

子育てをするには悪くないかもしれないな、と思えるようになった。

 

ある日

ベビースイミングのチラシに気づき、

息子と一緒に

駅に近いスイミングクラブに申し込んでみた。


同じ年頃くらいの赤ちゃんとその母親たちがいっぱいで、

地元にも友達が作れそうと思ったが、それは難しかった。

 


皆、地元出身者か産んだ病院が一緒なのだ。
母親クラスから一緒、という人もいた。


赤ちゃんが生まれた後に
友達になったにしては親しすぎだな、と不思議に思っていたら、
関係がわかる話が着替えの時間などに聞こえてきた。


挨拶や軽く声をかけてみたりしたが、皆関係が出来上がっており

その中によそ者の私が入っていくのは難しかった。

赤ちゃんがいたとしても共通項がなさすぎだったこと。
赤ちゃんで手一杯で
新しい人間関係には数人のママ友で満足している状況なので、

努力して知らない人と友達になることを敢えて
しないようにしているようにもみえた。


私の住む地域から来ている人がほとんどいないということも
後で判明した。


うちは線路を挟んで北側の地域だったが、
ほとんどの人が南側の地域から通ってきていた。


帰りは皆ママチャリ。
私は車で通っていたので、帰り道に話をするということもなかった。


こんな調子だったので通い出して1ヶ月過ぎても、
友人ができることはなかった。


いやだな、とは思ったが、
息子が大きなプールで気持ちよく遊んでいるのを
見るのは楽しかったので、そのまま通い続けた。