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再びパニックを発症するまで⒈

今回はその当時の日常を思い出して書いています。

もうずいぶん前の些細な日常を書いていますが、

当時の私が壊れていく過程でもあります。

考え方の癖は厄介なパニック障害を引き起こします。

パニック障害について書かれた本などを読むと、
もともと考え方の癖があると書かれていたりします。
確かにパニックを起こしやすい性格や考え方を持っているかもしれません。

でも、それは生活の過程で少しずつ・・
パニック障害の、パニック障害を起こす前に
日常生活の中で少しずつ強化されてしまった気がします。



 



ベビースイミングに通い始めて2、3ヶ月経っても
私には地元のママ友ができる気配はなかった。

それでも柔らかいむちっとした息子を抱っこするには
水の中は心地よく、重さを感じないので
クラスが行なわれている間は楽しかった。

でもクラスが始まる前のプールサイドに腰掛けて

インストラクターを待つ時間や、

終わった後の着替えの時間といった


おしゃべりがあちこちから聞こえて来る時間は
苦痛で仕方がなかった。

家でも一人だから出てきたのに、
どうして同じ年頃の赤ちゃんを持つ母親同士の中でも
私にはお友達ができないんだろう?

でもそれ以上悲観しなかったのは、
ただただ乳児の息子の世話やサークル活動で

忙しかったからだろう。

それでもサークルで都内に出ると
皆それぞれの母親教室や近所で知り合った
地元のママ友の話などが増えていて、
度々羨ましいな、と思うこともあった。

当時の私はまだ26歳。
周囲は明らかに30歳は超えている様子だった。

もし地元も同じで年頃も同じなら、
私よりもそちらと友達になりたがるだろうな
と今となっては思う。

自転車ではなく車で来て帰ってしまう私は
どこか遠くから来ているだろうと彼女たちが思うなら、

近所ではない友達と仲良くなってもね、と思うのもわかる。

引っ越した先の町は同じ市内だが、
うちは最近川沿いの整備がなされたばかりの
新興住宅地だったので、
まだ住民が少なかった上に
賃貸住宅がほとんどない地域だった。

うちはたまたま新築賃貸と出会う機会があって
引っ越してきたが、周辺は新築分譲が多く、
また新築は20代・30代夫婦が買うには
負担が大きい。

しかし後で知ることになるが、
私の住む市は
国道の北と南・駅の北と南で
随分と地価が違った。

南側は海があるのとおしゃれなお店が多いので

若い夫婦に人気があり、

皆こぞってそちらに住んでいた。
皆無理してでも南側にローンを組んで
自分たちの住まいを手に入れていた。

そんなことも知らないよそ者の私たちは
車で20分も走ればすぐ海に着くし、だなんて

呑気なことを言っていたが、
この市・・特にJR側とだけ限定すれば・・

駅の南側の方が人口が明らかに多かったのを
後で知ることになった。

ある日すごくきれいで若いママに声をかけられた。

年頃が同じかと思って、と声をかけてくれたのだ。



積極的な子だったので、私たちはすぐに仲良くなった。

彼女も地元が私たちの住む町ではないということで、
あちこち探検に行こうよ、と言ってくれた。

やっとできた地元のママ友をきっかけに
私は自分の住む町のあちこちを

息子を連れて出かけるようになった。
しばらくはとても楽しかった。

 

観光地なので土日は道がどこも渋滞する町だけど、
彼女から教えて貰った抜け道を覚え、移動する時間が短縮したおかげで
私はあちこち積極的に車に乗って走った。

どの道も狭く、カーブミラーが連続するようなところばかりだったので

運転にはとても気を遣った。
でもこんな道も走れるんだなーと楽しく抜け道をどんどん覚えていった。


ある雨の日、私は夫を助手席に乗せて運転していた。
どこも混んでいたので、私は彼女から教えて貰った抜け道を
使って裏通りを走っていた。
住宅街の小さな見通しの悪い十字路で悲劇は起こった。

一時停止をし、十字路を直進していた最中。

左から来た車がうちの車のフロントに突っ込み、大破してしまった。
私たち家族にケガはなかったが、その後の保険の話は難航した。

ウチの方が分が悪い過失割合が判例を基に出されたのだ。

車は廃車にせざるをえず、保険の話は決着が着くまで4ヶ月ほどかかった。


その間、私は夫にローンだけ残してしまったことや運転していた自分を

責めた。しばらくは事故に遭った時の衝突音が鮮明に蘇ることがあった。

車が無いとどこへ行くにも難しい町なので、夫はどうにかローンを組んで
小さな車を購入した。

新しい車はマニュアル車だった。

私はマニュアルに不慣れだったのと、新しい車の操作方法や運転などがストレスになった。ストレスではあったが、車はこれ一台しか無いし、覚える以外なかった。

坂道発進でのエンストなどは恐怖以外の何者でもなかった。


ストっと静かにエンストをしてしまい、後続車に突っ込まれやしないか。
乗っている間はそんなことばかり考えてしまった。

 

夫の運転は昔からなんとなく馴染めず、
その馴染めなさは車を新しくしてからさらに増した。

楽しいはずのドライブもエンストや
自分のペースではない速度や車線変更の仕方・・・
いろいろなことがストレスになっていた。

私にとって夫とのドライブは
怯えと怒りが頂点になる苦痛の時間だった。

何度もこの人の車から降りたいと願った。
私はいつも心の奥をぎゅっと握りしめるようにして

体を縮こめていた。

夫のうっかりで度々危ない目に遭うたび、
どうしてこの人は・・・と
思うこともあった。

 


運転において
私はまるきり夫を信用していなかった。

助手席にいる間、私は頭の中で
いろいろな思いを抱いていた。

ともかく降りたい。早く目的地に着いてほしい。
この一つしか考えていなかった。


でも夫は怒り出すと大声で怒鳴りつけるところがあるので、

そのような様子を息子に見せたくなかった。

我慢して普通に振る舞い、怒りも恐怖も隠すようにしていたが、

時々我慢しきれず彼に訴えることが少しずつ増えたが、
その度に険悪な雰囲気になった。

息子が生まれてからは、子どもを守りたい気持ちが自然と生まれるというが
私の中の攻撃性は夫に向き始めていた。

初めての発作から一度落ち着き始める

今回書くことは
引っ越してから発作を起こし、
その後の日常の小さな変化です。

パニック発作はストレスがきっかけに発症することが多いようですが、
そのストレスは多岐にわたり、
嫌なことだけでなく、人によっては結婚がきっかけの場合もあるそうです。

私の場合は、妊娠・出産・引っ越し・育児サークル2代目を継いだこと
などなど、変化の多すぎる一年でした。

また、元の気質も手伝うようなので、

気質については別に書きますが、私のようなタイプに
こうした一連のストレスが続いたことが一番いけなかったんでしょうね・・・

*************


「きっと悪い風邪で
1週間過ぎれば元通りだよ」

ある日の夫との会話。

でもこの不調は
1週間経っても治らなかった。

風邪だろうな、と思うようにしてはいた。


何より通常の不調と違うのは、

食欲はあるということ。


息子に関わろうとする時だけ
不思議と吐き気が起こる。

しばらくぐずぐずとこの状態が続いていた。


でも頑張らなきゃな。とも思っていた。


体調不良だった私を心配して


「新居に遊びに行くね」と言って

ママ友たちが何回かに分けて
わざわざ遊びに来てくれた。


すごく嬉しかった。

すごく嬉しかったけど

子どもたちは日に日に大きくなっているので、
だんだんとそれぞれの住む町で行う子育ての話が増えた。


私もわざわざ遠くへ出ようと思わず、
この子とここで頑張らなきゃな、と思い始めていた。


前向きになりだした頃から
不調はなんとなく忘れることができた。

新しい町にも慣れていかなきゃ、
せっかく海が車で20分ほどで行ける場所に住んだのだ。


休日は夫が海へ連れて行ってくれた。
大型ショッピングモールは車で来る人がほとんどなので
無料駐車場も多く、だいたいが無料で停められた。

子育てをするには悪くないかもしれないな、と思えるようになった。

 

ある日

ベビースイミングのチラシに気づき、

息子と一緒に

駅に近いスイミングクラブに申し込んでみた。


同じ年頃くらいの赤ちゃんとその母親たちがいっぱいで、

地元にも友達が作れそうと思ったが、それは難しかった。


皆、地元出身者か産んだ病院が一緒なのだ。
母親クラスから一緒、という人もいた。


赤ちゃんが生まれた後に
友達になったにしては親しすぎだな、と不思議に思っていたら、
関係がわかる話が着替えの時間などに聞こえてきた。


挨拶や軽く声をかけてみたりしたが、皆関係が出来上がっており

その中によそ者の私が入っていくのは難しかった。

赤ちゃんがいたとしても共通項がなさすぎだったこと。
赤ちゃんで手一杯で
新しい人間関係には数人のママ友で満足している状況なので、

努力して知らない人と友達になることを敢えて
しないようにしているようにもみえた。


私の住む地域から来ている人がほとんどいないということも
後で判明した。


うちは線路を挟んで北側の地域だったが、
ほとんどの人が南側の地域から通ってきていた。


帰りは皆ママチャリ。
私は車で通っていたので、帰り道に話をするということもなかった。


こんな調子だったので通い出して1ヶ月過ぎても、
友人ができることはなかった。


いやだな、とは思ったが、
息子が大きなプールで気持ちよく遊んでいるのを
見るのは楽しかったので、そのまま通い続けた。

 


 

やっぱりおかしい

新年会から戻り

一日ゆっくりすれば

また元どおり。

 

と思ったけれど・・


朝 息子の泣き声で目覚め
抱き上げようとした時。

突然の吐き気。


一度ゆっくり息子をベッドに戻し

洗面所へ。

ゆっくり呼吸を整えて
もう一度息子の元へ。

「はーいごめんね」

と言いながら
持ち上げようとすると


また 吐き気。

近くにいた夫に息子を任せ
吐き気が治まるのを待つ私。


どうにかいつも通りの調子になった頃


夫は「大変だけど、また夜にでも」
と言い残して会社へ行ってしまった。



私と5ヶ月のこの子と二人きり・・

引っ越した先は
友達も親もいない。

全く見知らぬ土地だ。


夜には近所の川のせせらぎが聞こえるほど
住人の少ない地区だった。


とりあえず授乳しながらテレビでも観て
気を紛らわそう

とやりたいところだったが、


引っ越した先で夫が
ケーブルテレビ代をケチって

未加入だったため、
前の家からテレビは持ってきたのに
観ることができなかった。

しかもテレビは居間にあると邪魔だ、という理由で
2階のベッドルームに移動してしまっていた。


夫に授乳中とかは暇だから
テレビを観られるようにしてほしい
とお願いをしたが、

「赤ちゃんとの時間をゆっくり楽しんでよ」と
優しく笑顔で断られた。

 

知り合いのいない街。
繁華街からも遠く。
車を出すには道を知らな過ぎだった。

本やパソコンは両手を使うので
息子を抱くのは難しいし、

録り貯めていたビデオは見飽きていた。


柔らかな日差し。

駅からも繁華街からも離れた
穏やかな町


息子と静かに暮らしている様子は
はたから見れば優しい時間だ。


赤ちゃんとの暮らしは
一日が長く感じられた。

吐き気などがなければ
あちこち運転して出かけて歩けるが

吐き気がついて回っていて
気軽に出かける自由がままならなかった。


時々息子が起きて
泣くたびに愛おしかった

でも違うのは

かまってあげようとするたび
吐き気を感じていることだった。

どうにかそばに寄って
かまってあげたりしたが

吐き気はいつしか
「予期不安」という症状へと変化していった


 

 

はじめに

初めまして
れいれいこです。


普段はお花関係の仕事をしています。
普通に仕事して

車を運転し、電車に乗り、

たくさんの人に会ったりと

「普通に」日常をこなしていますが・・

実は私
18年前にパニック発作を起こしました。
それから何年もこの症状に悩まされましたが、

いろいろな解決方法を探し、

長い間紆余曲折してきましたが、
どうにか元の私に戻れたな、と
やっと思えるようになったのは
実は昨年あたりだったと思います。

そこで
今日から私のパニック障害について
ブログで書き残していこうと思います・・・

 

出産後のある異変から、
今年で早18年になろうとしています。


突然の動悸・過呼吸・不安感・吐き気・・・

パニック障害です。


正確な数字ではないようですが、

今日本でのパニック患者の患者数は1000万人を超え、
10人に1人と言われているそうです。


珍しい病気ではないとは言われていますが、

発症してしまった人にしかわからない
不安と孤独が重くのしかかる病気です。


何の前触れもなく突然その症状は現れ、
数秒から数分で
「死ぬかもしれない」という気持ちが起こります。

そして
たった今の今まで一緒にいる人たちや

街の中など、

自分一人ではないはずの状況で
この苦しみを自分だけが味わっているという
孤独感が襲います。



人にもよりますが、
時間が経てば、全く何もなかったように
その症状は消えてしまいますが、


数回繰り返しているうちに

「また起こるかもしれない」


という気持ちに取り憑かれ、

外出先で吐いたらどうしよう?

錯乱して叫んだらどうしよう?

 

など、

いろんな心配を心の中で繰り返し
自問自答し続けます。


いつの間にか

今まで普通に家の中と外を行き来していた
日常に不便を感じ始めたり、

電車や車、通い慣れた道ですら
全てが恐怖に感じられていきます。


頭の中はいつもいつも
症状が起こるか起こらないかを心配し続け

「あっちに行ってはいけない」

「この乗り物は怖くて乗れない」

「この前も不安になったから今日もダメかもしれない」

だから出かけないでおこう

よくないことが起こるかも、と

心も行動も全て自分自身で制限し始めます。


あちこち自由に出歩いていた私には
本当に生き地獄のような日々の始まりでした。


当時は
一日一日が本当に長く感じられました。

育児を始めてから
忙しくて中断していた日記を
発症してから再開しました。

後になって読み返すと

この症状が
いつの間にか消えて無くなることを
願う姿ばかりが記録されていました。

パニック障害の発症から
一年経った頃の日記には
絶望感しかありません。

今もこの頃の日記を読むと
つらさが蘇ってきます。

当時の私は26歳。

明日になればこの病気はきっと
嘘のようになくなっている!

と毎日信じては
期待を裏切られるのを
繰り返す日々でした。

そうやって一年経過したある日の日記に

「私はいつ元の私に戻れるのだろう?」と

書いてありましたが、


当時の私は

もう戻れないかもしれない。

私は自分一人で
何もできない人間になっていくのかもしれない。

と不安でした。


現在 私のパニック障害
完治したかどうかはわかりませんが、


電車に乗っても吐き気は起きづらくなりました。

車でどこまでも運転して出かけられるようになりました。

心にざわざわとした波風も立たなくなりました。


やっと、少しは元の私に戻れたという
実感があります。

こんな私の経験が
誰かの役に立てればと思ったこと、

子どもが今年で18歳になるので

良い節目だとも思い

しっかりと振り返って、
これまでの出来事や
対処方法などを書くことにしました。

このブログを読んでくださることで

私と同じように苦しんでいる方が

一人でも一日でも早く

この症状から解放されることを
心から願っています。


発症したと思われる日の出来事

忘れもしない最初の異変を感じた日。

出産して4ヶ月目になろうとする頃のお正月

 

私は夫の運転する車で

 

神奈川から東京の築地に移動している最中に

体調の異変は起こりました。

当時私は所属していた
育児サークル主催の
新年会に向かう途中でした。

主人とこの世に生まれて数ヶ月の息子と
楽しい年明けの外出のはずでした。

少し風邪っぽいような体調だったかもしれません。

それでも元気に

息子のオムツやおしりふき・
おしぼり・ティッシュなどの荷物をまとめて

引っ越したばかりで慣れない土地の神奈川から

数ヶ月前まで暮らしていた
都内へ行くのが楽しみでワクワクしていました。


それなのに・・


夫の車で首都高横羽線を走っていたときです。

川崎あたりだったでしょうか。

首都高の轍の音が気になり始めました。

トン・トン・トン・・と
規則的にタイヤは首都高の轍を踏み続けていました。
トン・トン・トン・・

普段気にするようなものではなかったのですが、

この日はとにかくこの音が気になり、
だんだん大きな音に感じられました。

頭の中をこの音だけが占領し始めました。

楽しく夫と談笑しながら助手席にいた私は
話すよりも相槌を打つだけになり、

少しずつ着座姿勢を深くし、
外の景色が見えないようにしました。

音だけでなく
流れる景色も変に規則正しく思え
また
前から後ろの流れる景色に
目が追いつかなくなり、

自分の足で
走っているわけでもないのに

よたよたと減速して

地面にへばりつこうとしているのに
周りが勝手に動いているような

奇妙な感覚を覚えました。


音だけでなく目に飛び込む風景すら嫌になり、

どんどん気分が悪くなり始めました。

少し休めば元に戻るかな・・
と思っていた私でしたが

車内で吐き気を感じ
吐くのが苦手な私は、

意を決して夫に気持ちが悪いと訴えました。


夫は途中どこかで首都高を下りたようです。

どこをどう走ってくれたのか
全く覚えていませんが、


どこかで休ませてもらえたのでしょう。


私の記憶で次に思い出せるのは

もう終わり近くになってしまった

その新年会に参加していたことだけです。


遅かったね!と

同じ時期に出産したママ友たちに
口々に言われ、

食事も落ち着き
ビンゴゲームが始まろうとしていた頃でした。

その後は主人にも心配されましたが、
帰りの車では行きのような

体調不良はありませんでした。

帰ってゆっくり休めば治るだろう

そう楽観していました。

楽しいひと時を
引っ越して間もないのに
すでにホームシック気味だった
都内で過ごし
満足して家に戻りました。